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「テロリストの悲しき心」

色川大吉 「テロリストの悲しき心」 未来を生きる君へ 2004年6月13日朝日新聞統合版より

 テロリストの悲しき心

 石川啄木の詩にこうある。「われ知るテロリストの悲しき心を」。天皇暗殺をくわだてたとして処刑された12人への同情だが、テロの犠牲になった人びとの悲哀と絶望も限りなく深い。腹に爆弾を巻きつけてエルサレムで自爆したパレスチナの女子高生の心も悲しい。


 私は日米戦敗戦の年、特攻隊員を送りだす基地の島にいた。命令を受け30人の部下から12人を選んだ。一度出たら帰れない自爆攻撃だ。みな17〜18歳だった。私も大学在中の20歳。愛していた者ばかりだった。悲しみと悔恨は今も消えない。


 米軍はこの者たちを、神なる天皇のために自殺志願した狂った日本人と恐怖し、嘲(あざけ)った。また特攻隊と、9・11のアルカイダによる自爆突入機を同一視した。二つとも全くの誤解だ。私たちは天皇のために死のうとしたのではない。滅亡に瀕(ひん)した故郷と国民のためだった。特攻はテロではない。国と国の戦争行為で、相手は米軍に限られていた。だが、そこまで追いつめられて若者が死ぬことはともに悲しい。自爆攻撃の犠牲になって、その数倍の人たちが死ぬことはもっと痛ましい。


 そんな事態を招いたのは、ヒラの兵士や庶民ではなく、上にいる者たちが作りだした憎しみの関係だ。その不条理を解決する行為が政治ならば、その政治にダサイ、汚いからと注文もつけず、顔をそむけて、危険な方向に傾いてゆくこの国と世界を傍観していて良いだろうか。


 21世紀はテロとの戦争の世紀だという。米英日ロのような大国の政治家が口をそろえていう。アフリカやアジアや南米の大多数の貧しい民衆から見たらどうだろう。テロの温床を自分でこしらえておきながら、じぶんの影に怯(おび)える尊大なやつら、自業自得と映るだろう。第2次世界大戦から半世紀余、日本は一人も殺さず殺されず、第九条を盾に平和な暮らしを維持してきた。それがこの2、3年、急に変わりつつある。黙っていたら、戦争をする国、国際テロの標的なる国に必ずなる。戦前、戦中、戦後を生きてきた歴史家として私はそう思う。


憲法論争廃墟に立つ 昭和自分史(一九四五‐四九年)カチューシャの青春―昭和自分史 一九五〇‐五五年日の沈む国へ―歴史に学ばない者たちよ








新編 明治精神史日本の歴史21―近代国家の出発


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