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強者の論理 (直木賞作家の「子猫殺し」告白に思うこと) [news]

「子猫殺し」直木賞作家 背景に「日本嫌い」J-CASTニュース 2006/8/25)

   日経新聞のコラムで直木賞作家・坂東眞砂子さんが「子猫殺し」を告白したことをめぐって、「全く理解できない」という声が広がっている。坂東さんの「子猫殺し」の背景には充実した「生」の実感は「死」への意識が必要だ、という独特の考えがある。それがないのが、都市であり、日本だ。「子猫殺し」は、「日本嫌い」の延長線上にある、といってもおかしくない。(以下略)

人が充実した「生」を実感するには、「死」への意識が必要だというが、必ずしもそうとは言えないと僕は思う。

少なくとも僕には、「死」への意識がなくても、いくらでも「生」の実感(つまり、「生きててよかった」と感じるとき)があるからだ。趣味など自分の好きなことをしているとき、仕事をやり遂げたとき、人から感謝されたとき、等々。

また、充実した「生」の実感を得るために「死」への意識が必要だったとしても、「死」への意識を自らつくり出す手段(子猫殺し)は、果たして正しいと言えるのか。

そこには、相手より強い立場である自分(人間)さえ良ければ、自分より弱い立場の相手(子猫)くらいは犠牲になっても仕方がない、という強者の論理が透けて見える。


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コメント 4

Takuya Kimura

いやはや、おめでたい、というか、純粋培養されちゃったというか。
じゃあ、おまえら、豚肉も牛肉も一切食べないのか?????
人間が自分の都合で動物を殺すなんて、太古の昔から、連綿とやってきたことでしょう。
しかも、坂東側の主張も、かなりマトモだと思います。
坂東はちゃんと、「生」と「死」を彼女なりに、
少なくとも東京でノウノウと暮らす小僧どもよりは全然シリアスに、考えた結果として子猫を殺したようです。
猫が可哀相、という単純な思考から坂東を批判する人は、生活の中で死へ意識が足りないと思います。
屠殺場で働く人なら、過敏にならないのではないでしょうか。
私は単純に坂東を批判する人々よりは全然シリアスに、死を意識しているし、
自分の意思で生きるという気概も持っていて、今後も持ち続けていくつもりです。
by Takuya Kimura (2006-08-26 13:26) 

大使

Takuya Kimuraさん、コメントありがとうございます

坂東氏の主張がマトモだからといって、坂東氏の行った行為は許されるものではないはずです。

また、食べる為に動物を殺すことと、自ら飼っている動物を飼育放棄で殺すこと、これらを同等のものとして論ずるのは、いささか乱暴な気が致します。
by 大使 (2006-08-26 23:31) 

ナカサン

大使さんへ

大使 さんの意見に同意します。
どうにも我慢出来ないのでコメントさせていただきますが、
問題がありましたら削除して下さいませ。

Takuya Kimuraさんへ

坂東氏が「生」と「死」を考えるのも、
あなたが同じように考えるのも「考え限りにおいては」自由です。
しかし、日本にもフランスにも法があります。
いえ、法がどうのこうのと言う前に、
倫理というものがあるのではないですか。
子供を育てられないなら避妊するのは現代人なら当然であり、
それさえ出来ないのなら動物を飼わないのが正常なものの考え方です。
あなたのHPも拝見しましたが、
家畜とペットを同列で語るのもいかがなものでしょうか。
「屠殺場で働く人を差別云々・・・」としていますが、
動物虐待の坂東氏と日本の食料確保と生活の為に働く彼等を同列で語ることこそ
彼らを差別することになるのではありませんか?

>猫が可哀相、という単純な思考から坂東を批判する人は、生活の中で死へ意識が足りないと思います。
>私は単純に坂東を批判する人々よりは全然シリアスに、死を意識しているし、

猫が可哀想と思うことは単純なことですか?
坂東氏を批判している人が「死」を意識していないとどうして言い切れるのですか?
by ナカサン (2006-08-27 10:16) 

大使

ナカサンさん、コメントありがとうございます。

同感です。
丁寧な議論を展開して頂いて、ありがとうございます。
by 大使 (2006-08-29 07:17) 

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