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憲法と「日の丸・君が代」(伊藤真) [日の丸・君が代]

今回は、憲法からみた日の丸・君が代問題として、伊藤真氏の『憲法の力』(集英社新書、2007年)から引用したいと思います。

Q「学校の式典で君が代の斉唱の強制は違憲」という判決が出たようですが、日本の国歌なのだから、学校などで歌うのは当たり前ではありませんか? そもそもなぜ「歌う、歌わない」「起立する、しない」ことぐらいで裁判沙汰になるのかが、わかりません。

A 入学式や卒業式で日の丸に向かっての起立や君が代の斉唱を強要するのは不当だとして、東京都立の高校や養護学校などの教職員が東京都教育委員会を相手どって、起立や斉唱義務がないことの確認や損害賠償を求めた訴訟を起こしました。そして2006年9月21日、東京地裁において、原告の全面勝訴となる判決が出たのです。

 憲法を理解している者からすれば、この裁判結果はあまりにも当然のことといえます。ただ「『日の丸』は、かつての軍国主義の象徴であり、『君が代』は、天皇の御世を指すといって、拒否する人たちもまだ教育現場にはいる。これには反論する気にもならない」と自著(『美しい国へ』文春新書)で堂々と書くような人が総理大臣になるような国ですから、これが画期的判決といわれても仕方がないのでしょう。

 今回の判決では「我が国において、日の丸、君が代は明治時代以降、第二次世界大戦終了までの間、皇国思想や軍国主義思想の精神的支柱として用いられてきたことがあることは否定し難い歴史的事実」であると指摘しています。ですから、日本の日の丸や君が代に軍国主義との連想を感じ、血塗られたイメージを持つ人がいたとしても、当然のことといえます。

 日の丸や君が代にどのような思いを持つかは人それぞれであり、安倍さんのようにすばらしいと思う人ががいてもいっこうにかまいません。問題なのは、それを国が強制することにあります。

 1999年の国旗国歌法の成立の際には、当時の小渕恵三首相も「新たに義務を課すものではない」といった趣旨の談話を発表していました。有馬朗人文部大臣(当時)も「学習指導要領に基づく学校におけるこれまでの国旗・国歌の指導に関する取り扱いを変えるものではない」と述べています。しかし、現実には教育委員会によるひどい強制と不当な処分が行われています。これは明らかに憲法19条で保障された「思想・良心の自由」の侵害が起きています。

 国旗や国歌というシンボルにどのような気持ちを持つかは一人ひとりの自由であり、まさに内心の自由です。

 そもそも憲法の下では、個人の人権は他人に迷惑をかけない限り最大限に保障されます。心の中でどのような思想を持とうが、それだけでは誰にも迷惑をかけませんから、思想・良心の自由も絶対的に保障されます。そして、どのような思想や良心を持っているのかを国が調査したり、それを強制的にいわせたりすることもできません。心の中のことは人にいいたくないこともあるはずです。それを無理矢理にいわせるというのは、その人の人格を無視することになり、人間としての尊厳を軽視することになります。これでは個人として尊重するという憲法の理念(13条)にも真正面から反してしまいます。

 「内心でどのように思っていてもいいから、とにかく起立して歌いなさい」と強制することは、君が代を快く思っていない人に人にとっては大変な苦痛ですし、自分らしさを強制的に奪われることになってしまいます。

 今の憲法は多様性を認め合う社会をめざしています。その人なりの自分らしく生きたいという思いを最大限尊重しようとします。思想・良心の自由は、自分らしく生きたいという個人の尊重の延長線上にあり、日の丸・君が代の強制はこれを真正面から否定することになるという点をしっかり理解しておかなければなりません。

 もし仮に多くの国民が納得するような新しい国旗や国歌をこれから作ったとしても、それに敬礼したり、歌ったりすることを強制することはできません。多くの国民がそれをよしとしても、よしとしない少数の人たちに強制することはできないのです(98〜101頁)。


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「日の丸・君が代論議」(色川大吉)


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沖縄と日の丸・君が代(本田靖春) [日の丸・君が代]

ノンフィクション作家、故本田靖春氏の日の丸・君が代に関する一節(『我、拗ね者として生涯を閉ず』講談社、2005年)をご紹介します。

 少数派、社会的弱者の側に身を置くと、何が見えるのか。人間社会の不条理である。

 国旗・国歌の法制化もそれであろう。国家には国旗と国家はいわばつきものであって、オリンピックのようなとき、なければ困る。私も、そのこと自体をとやかくいうつもりはない。でも、日の丸・君が代の法制化となると、話は別になってくる。

 各種の世論調査に示されているように、国民の圧倒的多数が、日の丸・君が代を支持している。それなら、そのままにしておけばよいではないか。とりわけこれといった不都合もないのだから。

 そうであるにもかかわらず、なぜ、あえて法制化を強行したのか。

 権力者の側にとって、日の丸・君が代に異を唱えるものは、長年にわたってシャクのたねであった。いまは死語になっているが、心情的には「非国民」のレッテルを貼りたいところであったろう。

 法制化は、そういう「不埒」な人たちに対する、明らかな押しつけである。そこでまず、沖縄に思いを致さずにはいられない。

 かつて琉球王国を形成していた人たちとその子孫は、私たちヤマトンチュウとは異なる民族である。

 沖縄が太平洋戦争に巻き込まれて、ただ一県だけ地上戦の場となり、婦女子を含む多くの人びとが、悲惨な死を遂げた。彼らの日本国に対する思いは、たいへん複雑である。

 戦時下、沖縄では朝鮮におけると同様、「皇民化教育」が推し進められた。一つの色に染め上がることを押し付けたのである。戦争の記憶につながる日の丸・君が代に拒絶反応を示す人たちがいても、なんの不思議はない。いや、その方が自然であろう。

 在日米軍基地の75パーセントを引き受ける沖縄は、戦後、半世紀も過ぎたというのに、その悩みから解放されていない。

 それは、なぜか。ヤマトンチュウは、口先では「基地返還」をいうが、本気にならないからである。つまり、沖縄問題は他人事にしか過ぎない。

 そういう日本国に対して、忠誠心を求められても、素直に応じるわけにはいかないではないか。


関連記事:「日の丸・君が代論議」(色川大吉)



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「日の丸・君が代論議」(色川大吉) [日の丸・君が代]

「日の丸・君が代」の問題を考える上で参考になるようなものを、何回かに分けて紹介していきたいと思います。

今回は、歴史家の色川大吉先生の「日の丸・君が代論議」(『日の沈む国へ―歴史に学ばない者たちよ』小学館、2001年)から、その一部を引用します。

 16歳の少女が新聞に投稿している。「なぜ、国旗に向かって一礼しなくてはいけないの。なぜ君が代をなんども歌わせられるの。なぜ、そうするのか説明できなくては、国を愛することになりません」と。学校でも内容を教えられていないのだ。

 放送タレントの永六輔さんの最近の言葉。「お辞儀をするのは日の丸を人格化しているからで、だれに人格化しているかといえば、それは国民じゃなくて、やっぱり天皇ですよ。日の丸の旗は『日出づる国の天子』のシンボルですね。『君が代』も同じく天皇賛歌と言えます」。

 文部省(当時)の審議官が先日のA新聞紙上で居直っていた。「君が代」が天皇を讃えて、なぜいけないのだ。憲法第1条でも日本国民統合の象徴とされいるのだし、国民がその繁栄をねがうのは当然ではないか、と。この官僚は第1条を終わりまで読んでいるのか。天皇は象徴だが、日本国の主権は国民にあると明記してあるのに。どちらが「上」か判断もできないで審議官とは聞いて呆れる。

 「天ハ人ノ上ニ人ヲ造ラズ」といわれて100年、この民主の時代に、万世一系の天皇の世を千代に八千代に栄えませという歌が「国歌」としてふさわしいのか。それに曲をそもそもが歌いにくいし、気がめいる。国歌はもっと元気の出る、明るい歌曲が良い。公募して、何度でもコンクールをやり、国民自身が決めれば良いのだ。日の丸については、先の少女の質問にこたえたい。

 もともと日章旗は幕末に、つぎつぎと来航する異国船と識別する必要が生じたために、日の丸を日本国の総船印にしようと徳川幕府が定めたこと起こりとされる。これはその前から日の丸を使っていた薩摩の島津斉彬の意見によるものであった。だから幕府がアメリカに派遣した威臨丸は日の丸の旗を掲げて太平洋を渡った。明治3年(1870)、明治政府はこれを受けつぎ、太政官布告で日の丸を日本国のしるしとした。ところが、その後、陸海軍が大陸での戦争でさかんに使ったために、アジアの人びとからは日本軍国主義の象徴のようにみなされた。そして敗戦後は国民の間にも忌避感情が生まれ、敬遠されていたのである。

 日の丸が復活したのは自衛隊の成立後ごろからであり、東京オリンピックで国際的に再度、認知された。しかし、その後も日の丸を誇示するのは右翼の街宣車か保守党の専売特許のように見られていた。文部省はこの状況を転換しようと、日の丸・君が代に反対する日教組を目のかたきとして闘った。日章旗を掲げてやった侵略戦争の歴史は教えさせず、教育現場に愛国心とセットで「国旗・国歌」を押しつけようと努めた。中曽根元首相らが靖国神社に公式参拝した1985年に、日の丸・君が代の徹底指導の通知を出し、さらに学習指導要領を改訂して、実質的には小・中・高校に強制するにいたった。

 それから10年、自民党中心政権は村山社会党の転向に助けられて日教組を無力化し、日の丸・君が代の完全実施に近づいた。校長の自殺と言う冒頭の悲劇(註:1999年、広島県のある高校の校長が卒業式の前日、文部省や県教育委員会の強硬な実施命令と、職場の教師や父母、生徒らの反対との板挟みになって自殺した)はその幕切れに起こったのである。「国旗・国歌」の議論をこうした歴史的文脈抜きでしていると、権力の「影の仕掛人」たちの術策に、はまるだろう(19〜21頁)。


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